はじめに

 

 

皆さまお寺というとどんなイメージをお持ちですか?

 

私は、小学生の時に地元の古刹の写生をしたり、中学生の時は、お寺の塾などに通ったりした想い出があります。 周囲の自然と調和した重厚なつくりの建物と多くの緑は、ほのぼのとした安らぎの場であったように思います。

 

しかし、では自分がお寺の「お坊さん」に成りたいかと言うとそれは全く別問題で、実は私が最も成りたくない職業というのが何と「お坊さん」だったのです。何故なりたくないかと申しますと「お寺さんは、社会的活動がない」というのが当時私がお寺さんに抱いていた印象でした。 すなわち、ほとんど葬式や法事の時にしか一般人と接点がなく、何を生産することもなく、普段の生活の中で何をサービスするものでもない、というとても虚しい職業とのイメージだったのです。

 

ところが、そんな私が17才の時に或る仏教のお坊さまに出会い、27才の時に初めて仏教の修行に触れそのイメージは全く違うものに刷新されました。 即ち、ほんとうの仏教、お寺、僧侶は今の時代においても大切な大変に深く有り難い智慧と慈悲の力を持ってることを実体験として知ったのです。そして私は、その体験が基になってかつて最も嫌っていた僧侶となったのです。

 

考えてみるとお寺は、従来寺子屋と言われたように 僧侶の修行のみならず、教育機関としても重要な役割を演じていたのであり、その他政治、経済、医療、芸術、武術等、つまり様々な文化を創造し発信する拠点であったわけです。日本の文化は、お寺を中心に形作られて来たと言っても過言ではありません。

 

それが明治維新次いで太平洋戦争の敗戦に伴い、社会の中心から大きく切り離される存在となってしまいました。そして今や葬式施行の一部を担当する人というところにまで限定されるに至っているのが多くの寺院、僧侶の現実ではないでしょうか。

 

終戦後60年以上を経て日本の国は、「欧米に追いつけ追い越せ」のスローガンのもと経済的には大いに発展し世界の経済大国と言われるまでになりました。しかし、その急激な発展の影で置いてゆかれた余りに多くのものとそのことのための苦しみがあるのが我が国の実際です。殊に人の精神面です。 思想と言っても良いのかも知れませんが、思想というと観念的なところに留まる感がありますが、もっと人の持つ心情、心境、精神文化といったものを含めて精神面ということです。

 

さて今日精神面の喪失は、国民に誠意ある政策を提示するというより、政治家自らの立場を保たんがために国民に媚び欺く政治として、経済は近江商人の「三方良し」に代表されるような共生の発想から遠のき自社、自店の利益のみを追求する弱肉強食の現行グローバリゼーション経済として、医療などは、死を自然なる在り様として受容し、如何に死に如何に生きるべきかの思想を失った、いたずらに延命のための延命医療や薬漬け医療などとして現われ、その根幹となる教育に於いては、「人間形成」という考え方からはほど遠い、知識の詰め込み具合を調査するようなテストの点数で子供の価値を評価するという教育に成り果ててしまっております。

 

こうした精神喪失の現状を打破し、「人間本来の精神、たましい、霊性」を取り戻し育む、ということを基としたかつての寺子屋のような人間形成の場が特に今日必要であり切望されている、と私は思います。

 

私どもの「いのち輝く寺子屋道場」は、そうした時代のニーズであり、時代を超えた普遍の価値を提示し、かつ皆様がそれを実感し、共に実現してゆくためのファシリテーターとして

場として創造してまいりたいと存じます。

 

 

この趣旨に賛同される方、どうぞどしどしお出でください。

ご意見、ご叱責等をいただければこんなに嬉しいことはありません。

  

また、当方では様々な悩み事の相談や祈りなどなも応じております。昔ながらの誰にでも開かれたお寺ですので安心しておでかけください。